18歳で役者を志して広島から大阪へ。25歳で自らに課した「約束」に従って夢を手放し、リクルート・KDDI・Salesforceの最前線を歩んだ一人の営業マンは、40歳を節目に起業家へと転身した。数々のプロジェクトに伴走するなかで見つけた「10ステップ」という気づきは、やがてAI活用DXプラットフォーム「WHITEBOX」へと結実する。

その半生と思想を聞いた。

(本記事は2026年5月19日に実施したインタビューをもとに構成しています)


「25歳まで」と決めて踏み出した、役者への道

──もともとは役者を目指していたそうですね。

広島出身で、18歳で高校を卒業して大阪に出ました。本当は高校卒業の段階で役者になりたかったのですが、親に「食えるかどうかも分からないことはやめなさい」と言われてしまって。そこで折り合いをつける形で、救急救命士の専門学校に通うという名目で大阪に出たんです。

専門学校ではトップ3〜5に入る成績を出していました。でも、やはり芝居の道に進みたいという気持ちが消えず、1年で退学。そこからは朝晩バイトを掛け持ちしながら、役者の養成所に通う生活を送りました。

ただ、養成所に通い始めるときに、一つだけ自分と約束していたことがあります。「25歳になるタイミング、あるいはその手前で、役者として食っていく確信が持てなかったら、潔くやめて社会人になる」と。撤退ラインを自分で引いてからスタートしたんです。

23歳ごろに東京で本格的にやってみないかという機会をいただき、千葉県松戸市に住みながら都内の事務所や養成所に通いました。生活費は池袋・西武百貨店の館内配送で稼いでいました。そこで最初の妻と出会い、24歳半ばを過ぎたころに長男が生まれます。

大勢の役者さんをかき分けてトップに立つ、という確信がどうしても持てなかった。長男を育てるという現実もあった。「もう決めたことだから」と、自分で引いたラインに従って、思い切って社会人の世界に飛び込みました。


「答えは自分の中にしかない」──大量行動で掴んだ営業の本質

──リクルートやKDDIでの営業経験で、現場で成果を出すために痛感したことは。

難しいことは何もなくて、まずは「質より数」なんです。誰よりも多くお客さまに会い、誰よりも多く提案し、誰よりも多くメールを送る。それしかない。

リクルートには中途の契約社員として入社しました。最初にやらされたのは、3日間で1日100枚、合計300枚の名刺を、自分のテリトリー内で飛び込みだけで集めること。駅前で声をかけるようなやり方はダメで、一件ずつ訪問して、自分が何者かを話したうえで名刺交換をする。300枚集めるには、その3倍は飛び込まなければならない。3日間でおよそ1,000件動くわけです。正直、途中から感覚が麻痺しますよ。でも、それだけの行動量を経ると、もう何をやっても怖くなくなるんです。

最近は「タイパ・コスパ」で、最初から最小限の工数で効率的に、と考えがちです。でも、自分に合うやり方、受注率の高い進め方、話しやすい相手が社長なのか現場なのか──そういう「自分の勝ちパターン」は、大量に動いた先にしか見えてこない。答えは自分の中にしかないんです。

成功パターンを形式化するのは難しい。運もタイミングも協力者の存在も絡むから。でも、失敗するパターンは因数分解しやすい。だからこそ最初にたくさん動いてたくさん失敗し、そのもがきの中で、成果を出している先輩や上司に相談できる関係を早くつくっておくことが大事なんです。

一事が万事、人間万事塞翁が馬。いまやっていることが辛くて何につながるか分からなくても、この経験は絶対に自分を裏切らない。それが思考の真ん中にあります。


「Excelのままでは、日本企業は変われない」──世界基準を”使い倒した”8年

──その後、Salesforceという世界トップのIT企業へ。そこで見えたものは。

まず驚いたのは、リクルートもKDDIも「とにかく数をやる」という文化なのに、その活動記録がすべてExcelだったことです。いつ・どの施設の誰と・どんな話をして・次に何をするのか。それを管理する術がExcelしかない。

本人が回している間はいい。でも引き継ぐとなると地獄です。情報を同期するコストが膨大なのに、その時間は自分の成績に1円もつながらない。これは日本企業の「それで何とかなってきたから変えられない」という悪しき部分だと思います。

一方でSalesforceは、顧客情報も、名刺情報も、いつ誰にどんな話をしたかの活動履歴も、そこから生まれた商談も、そのフェーズも、売上目標に対する進捗も──全部デジタルで見える。「これじゃないと日本企業が加速度的に成長するのは難しい」と、その瞬間に思いました。

私はインサイドセールスとして入社しました。過去に失注したお客さまへアプローチする際、SFAに残された過去ログを読みながら、まるで自分がずっとそのお客さまを担当してきたかのように、ストーリーの連続性を保ったままフォローできる。この経験を約2年間、徹底的に叩き込まれました。その後は外勤営業へ。トータルで8年弱在籍しましたが、最初の2年でSalesforceという仕組みを”使い倒した”ことが、いまの自分の土台になっています。

──世界基準と日本企業のあいだには、どんなギャップが。

大きく2つあります。

一つは、戦略の落とし方。外資はトップダウンで、経営層が戦略とKGI/KPIを決めて落とし、その先の戦術は現場が立てる、と役割分担が明確です。ところが日本企業は、社長や役員が「こういうことをやりたい」というお題目は言っても、その先は「あと部長よろしく」で止まってしまう。KGI/KPIを示せない経営者も本当に多い。カチッと形の決まったソリューションは、役割分担が明確な組織にこそフィットするので、日本の組織では機能しづらいんです。

もう一つは、人材の流動性。日本は解雇規制が厳しく、労働者の権利が手厚く守られている。業務効率化で10人の部門が2人で回るようになったとして、残り8人をどうするのか、という話になる。切れないし、配置転換もしづらい。データが整っていないから、なおさら動かせない。鶏と卵のループにはまっているんです。30年勤めた50代の方に「今からリスキリングを」と言っても難しい。そういう方が経営に物申せる立場にいると、DX・AXのプロジェクトは止まってしまう。制度と文化に根ざした、構造的なギャップだと感じています。


現場で見つけた「10ステップ」──WHITEBOX誕生まで

──外資を経て、あえて国内SaaSスタートアップのUPWARDへ。

30代後半に差し掛かり、「そろそろ組織をマネジメントする、部門を立ち上げる、若手を育てる、ということを学んだほうがいい」と考えていました。ちょうどSalesforce時代の同僚に声をかけてもらい、インサイドセールス部門の立ち上げとアライアンス業務を約1年10か月経験しました。営業未経験・SaaS未経験の若手を迎え入れ、結果を出せるように育てていく。25歳からずっと第一線のプレイヤーだった自分にとって、貴重な学びの時間でした。

──そして2023年、独立を決断されます。原動力は。

やはり「40歳」が見えてきたからです。35〜36歳のころから、40を節目に人生設計をどうするかを意思決定したいとずっと考えていました。会社員として職責を担い続けるのか、リスクはあっても好きなことをやるのか。39歳のとき、「もうここまで来たら、40以降の人生は好きに生きよう」と決めて、自分の会社を設立しました。

──そこからさらに、2025年9月に株式会社WHITEBOXを立ち上げた理由は。

独立してから2年、さまざまなプロジェクトに伴走するなかで、うまくいかない会社・組織の中でいざこざが起きるプロジェクトには、必ず共通項があると気づいたんです。

それは、10のステップを丁寧にこなしていないということ。10のうち半分しか整理・言語化できていない、ひどい場合は一つもできていない。「8個、9個やっておけば成功とみなされるのでは」と思うかもしれません。でも、残り1個が抜けていたがゆえに、「俺、こんな話は聞いていない」「定量的に効果が示せない案件には投資できない」と社長が判断してしまう。それでプロジェクトは頓挫するんです。

この10ステップが整理され、棚卸しされ、メンバー間で共有され、社内にちゃんと説明できる状態になっていないと、プロジェクトは失敗する。それがはっきり分かった。この気づきをプロダクト・ソリューションとして仕上げたものが、WHITEBOXです。

私が提供できる最大の価値は、机上の空論ではなく、自分が経験してきたことそのものです。大量行動で確率論的に生き抜く道を選んできた経験値。世界最高の営業DXを”使い倒した”経験。そのうえで、日本の企業が何に取り組めば成果が出て、何をすると失敗するのかを、痛いほど分かっている。だからこそ、かなり生々しいことをズケズケと言えるんです。


支えたいのは「空白地帯」の中堅企業

──WHITEBOXは、どんな企業に一番届いてほしいですか。

中堅企業(従業員300〜2,000名規模)です。

5人・10人規模の会社は、社長がトップダウンでスピーディーに決められる。今日明日、一件でも多く受注することに全員で取り組む雰囲気があって、そこまで困っていない。一方、5,000人・1万人を超える大企業には、専門部門も担当者も予算もある。DX・AXへの投資も、コンサル費用も、おおむね予算化されています。

でも、その中間──ベンチャーほどのスピード感もなく、大企業ほどの潤沢な予算も専門人材もない企業レンジは、AX・DXを安定的・継続的に取り組み続けることがしづらい。私はここを「空白地帯」と呼んでいます。まずはこの空白地帯にいる企業さんを、しっかり支援していきたいんです。

──5年後、10年後に向けて、いま最も力を入れたいことは。

WHITEBOXというプロダクトを、魅力的に育てることです。AIをうまく活用しつつ、普段AIを業務で使っていない人でもとっつきやすく、困りごとをストレートに解決してくれる。そういうソリューションにしていきたい。

もう一つは啓蒙です。自分の会社が何に困っていて、何に取り組むべきで、どんな打ち手を打つべきか。それをどう経営層に、あるいは現場に、納得してもらうか。この「言語化・見える化・情報整理」を、決しておざなりにしてはいけない──そう伝え続けたい。ここがしっかりできていないと、どんなに優秀なコンサルを雇っても、素晴らしいソリューションを入れても、無駄な投資になり、現場の社員が不幸になってしまいますから。

将来的には、WHITEBOXを日本を代表するAI活用ソリューションに育て、ひいては東南アジアをはじめとするアジア諸国へ届けたい。伸び続ける国々のAX・DXを後押しし、国の成長・企業の成長・個人のスキルアップに貢献していく。そんな素地をつくっていきたいと思っています。


佐伯嘉郁の人となりとは

──ご自身を「色」で表すとしたら。

オレンジです。カバンの内張りも、リクルート時代に選んだ自転車も。元気が出て、目立って、好きなんです。

──好きな映画は。

『幸せのちから』。うだつの上がらない訪問販売の営業マンが、証券マンとして採用され、そこから人生をJカーブで上げていく実話です。奥さんとうまくいかなくなったり、家を追い出されたりしながらも、子どもとの絆を消さないよう四苦八苦する。自分の人生と重なるところがあって、元気がなくなったときに時々見返します。子役の髪型が次男の小さいころにそっくりで、毎回涙が止まらなくなるんですよ。

──仕事に欠かせないこだわりは。

キーボードと炭酸水ですね。Bluetoothのキーボードを3種類、気分やタスクで使い分けています。飲み物は味なしの炭酸水。1日ほうっておくと2Lは飲みます。口の中への刺激で頭が冴えるし、胃腸がちょうどよく動いて生活リズムが崩れにくい。寝ている時間以外の18時間のうち、15時間くらいは座って仕事をしているので、これは欠かせません。

──もし、もう一度だけ舞台に立てるなら、どんな役を。

答えは決まっています。今の自分の会社をしっかり成功させて、自分自身のサクセスストーリーを、自分で演じたい

プロダクトが世の中に届いて喜んでもらえること。子どもたちが社会で活躍していくところ。関わってくれた人たちが幸せになること。そうして最後に「いい人生だった」「生きててよかった」「諦めなくてよかった」と思える。そんな役です。

そしてその舞台を観てくれた人が、いまうまくいっていなかったとしても、「そうじゃないかもな」「もう少し頑張ってみてもいいかな」と思ってくれたら──それが一番の願いです。


最後に──前に進みたいすべての人へ

僕自身、まだ何も成し遂げていないと思っています。一旗あげたい。それがいまは、WHITEBOXという挑戦です。

人生100年時代、50代・60代になって半生を振り返ったとき、「俺はこれをやった」「これは誇れる」と思いたい。何のために生まれて、何をして生きるのか分からないまま終わる。それだけは嫌なんです。

僕は勉強ができたわけでも、大学を出たわけでもありません。好きなことをやって社会人になり、40になってまた好きなことで会社をやっている。そんな人間でも、これだけのことはできる。「ああなってみたい」と思わせられる人生は歩める──それを体現したいんです。

いまはAIがあります。若い方は、思いついたアイデアをどんどん形にして、モックをつくって、人にレビューしてもらってほしい。そして人生の先輩方も、「もういいや」「新しいものは難しい」と言っている場合ではありません。あなたのチームには、成長したい・学びたい・変わりたいと思っている人がいます。AIも使い倒して、あなたの経験値と「これをやると失敗する」という知見を、ぜひ若い世代に手渡してあげてください。

全員で前に進んで、日本をもう一度、世界で一番勢いがあって、一番魅力的で、誰もが憧れるような国にしたい。僕はその一役を担いたいと思っています。思いを同じにしてくださる方がいれば、ぜひ一緒に仕事をしましょう。


株式会社WHITEBOX 代表取締役・佐伯嘉郁